第18話 今熊野商店街の元カメラ屋さん


※こちらの記事は2016年3月の取材に基づくものとなります。

一部改装が加わっているところもあるとの情報が入りましたので、

その点ご了承のほど、宜しくお願いいたします。

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国立博物館、三十三間堂より南、東福寺より西側にあたる地域に、今熊野商店街はあります。

観阿弥が能を舞い、能発祥の地ではないかとされている

新(いま)熊野神社があることが名前の由来となっています。

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神幸祭を始め、9つもの年間行事が行われ、

夏には商店街と合同の夏祭りで賑うことで知られています。

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20年前には活気のあった商店街も、近年商店主の高齢化により、

シャッターも目立つようになってきました。

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今回ご紹介する商店は、元カメラ屋さんです。

今熊野商店街振興組合事務局の隣に位置しており、青いシャッターがとても可愛らしいです。

今回取材に応じてくださったのは、

こちらでお祖父さまがカメラ屋を営んでおられた、村中さんです。

今熊野商店街を始めとして、学区全体を盛り上げようとされている

NPO法人京都泉山の石井会長よりご紹介いただきました。

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左が村中さん、右が石井会長です。

村中さんはフラワーアレンジメントのお仕事、お兄さまは写真学校の先生をされています。

今熊野商店街は『生鮮食材が京都一安い商店街』として有名だったそうで、

歩道いっぱいに人が通る中、ご兄弟で小さい頃、

フィルムを売っていたことを懐かしそうに話してくださいました。

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学区のお店などを紹介した一橋学区大鑑によれば、このお店を始めたお祖父さまは

昭和3年に今熊野商店街に電気屋さんとしてお店を開かれ、

その後「これからは写真の時代」と写真屋に専念されるようになったそうです。

当時進駐軍が現日赤病院を使っていたこともあり、

家族写真を撮る文化が早く根付いたのではとのこと。

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シャッターを開け、自動ドアを入ると商品が置かれていたスペースが広がっていました。

新しいものが好きだったというお祖父さまらしく、壁紙もおしゃれ!

写真には写っていませんが、入り口には大きなショーウィンドウも。

その奥は昭和初期お手伝いさんが泊まっていた部屋があり、床下に暗室があったそうです。

さらにその奥の部屋にももう一部屋。

その後右側の扉の奥が暗室となりました。

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2か月ほど前に行われたDesign week Kyotoというイベントの際に

一階一番手前のこの部屋が綺麗にされたそう。

床にはカメラ屋時代にショーケースに使われていた電源が残っています。

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奥の部屋には昭和後期に貼られたカーペットと共に、昭和初期の家具も少し残っています。

お祖父さまの跡継を継ぎたいとお兄さまが決意された際、

厳しいお祖父さまはまず写真を勉強してくるようにとおっしゃったそうです。

その際お祖父さまが奮発して変えられたのがこのカーペットだったとのことですが、

お兄さまは写真学校に行かれた後、その学校の先生として就職されることとなりました。

「祖父が亡くなった後に知った」とお兄さまに伺い、

この建物にも、この街にも、見えない形でたくさんの人たちの想いが詰まっていて、

まだまだ気づけていない過去や未来があるのだろうなと感じました。

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これは写真を乾かす機械。当時の写真はコーティングのない紙で作られていたため、

この機械で乾かし、艶が出る工夫がなされていたそうです。

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2階には畳の部屋と洋室があり、さらに…

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スタジオも!自然光で撮影できる工夫がなされています。

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私の腕では自然光どころか自前のカメラすら全く使いこなせませんでしたが、

村中さんが小さい頃、お祖父さまに撮影してもらったという

想い出の椅子で最後に撮影させてもらいました。

ご兄妹お二人とも芸術に近いところにいらっしゃることもあり、

芸術に関心のある人がこの場所に入って、いろんな友達を連れてきてくれ、

賑やかな場所になって欲しいと村中さんはおっしゃいます。

街やこの建物、そして家主さんたちに関心を持ってくださる人が見つかりますように。

 

こんな人にオススメショーウィンドウやスタジオを使いたい人
建物の詳細宿不可
間取り5部屋+暗室
広さ不明
初期費用(うち返金)20万円(うち20万円保証金扱い)
月使用料10万円
所在地東山区
DIYレベル★★☆☆☆

(ライター:めい